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バーチャルピアノの哀愁

久々に「来た!」と思いました。デハボ1000さんのブログで取り上げられていたバーチャルピアノ。山形にあるベンチャー企業が開発した、とのことです。デハボ1000さんのブログではこの開発者が、70年代にヒットした「池上線」の作詞者であることが紹介されています。

このバーチャルピアノ、硬く平らなものがあればそこにレーザー光線でピアノの鍵盤を映し出し、指で弾くとスピーカーからピアノの音が出てくるというのです。

これを見たときに、その技術ついにできたかという感じと、オー!それがピアノで来たかという感覚になりました。

携帯電話で親指入力をしていて苛々しませんか?私はダメですね。かといって、携帯電話サイズに詰め込まれた小さなキ-ボードも使う気がしません。そのうちレーザー光線で机の上にキーボードが映し出されて、それで入力が可能な技術が出てくるだろうと思っていました。どこかのSF映画で見たのかもしれません。

原理的には同じことでしょうが、それがピアノということで、私の幼い日の遠い記憶がほろ苦くよみがえってくるのです。

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小学生の低学年のころ少しだけですがピアノ教室に通っていたことがあります。今でこそピアノを習うことはそれほど珍しいことではありませんが、当時(60年代前半)は一部のお金持ちの子息子女のみに許されたことでした。私の親は一介のサラリーマン、母親が内職をして一家の生活がやっと保たれる貧乏家庭でした。そんな家庭の子供などキリスト教の教会で開かれていたピアノ教室にはいませんでした。もちろん私の家にピアノなどあろうはずもありません。それでも親は私を音楽家にしたかったようです。

練習はベニヤ板にピアノの鍵盤を描いた「バーチャルピアノ」でした。鳴る音をイメージしながら指運びの練習をしたものです。やはり無理でした。そのときは親にやらされている感じでしたから止めるのもそう悔しいと思ったりした記憶がありません。

それでも心の奥底にピアノを弾けるようになりたいという気持ちは残っていたようです。長じて大学生になったころ、教育大学でしたから学生が自由に練習をすることができる個室のピアノ室が何部屋かありまして、私の専攻ではピアノの単位は必要なかったのですが、時々行ってピアノを弾く真似事をしていました。

でもうまくはなりません。両手を使って弾ける曲は簡単な数曲だけ、あとは片手でメロディーを追うことぐらいしかできません。

働くようになってから、タッチセンサーつきで鍵盤のタッチが再現されるローランドの電子ピアノが発売された時には、何をおいてもほしくなり購入しました。それでもピアノが弾けるようになったわけではありません。そのうちに狭い家では邪魔になり、物置に追いやられていつかごみになってしまいました。

この商品、15000円だそうです。でもまだ発売されていない?のかな。無性にほしくもあり、しかし手に入ると寂しさを呼び起こすことになるかもしれない、そんな複雑な心境です。

Pulsewave デハボ1000さんのブログのコメントにも書いたのですが、ベニヤ板でできた音の鳴らないバーチャルピアノで挫折した少年が流浪のはてにたどり着いて飯の種にしているのが「聞こえない音」であった、というのも人生の皮肉とでも言いますか、面白いと思います。

図は、私の超音波本の中に掲載されているパルス波と連続波をイメージするためのイラストです。

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