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20世紀初頭のエアコンプレッサ

横浜みなとみらいを散策して、ドライドックの次に案内してもらったもの。

Cimg2522 造船所で使っていたエアコンプレッサ(空気圧縮機)です。公衆トイレの前にさりげなく展示してあります。電動モーターでピストンを駆動するレシプロ式のコンプレッサです。

デハボ1000さんは、圧縮機や安全弁の型式について説明してくれます。私は、圧縮した空気を貯めているタンクがリベット止めであることに目が行きました。

Cimg2530 「製作が1918年ですからね。溶接で圧力容器を作る勇気は設計者にないでしょう」とデハボ1000さん。

1918年。そんなに古いものだったのですね。もうとっくに亡くなった私の親父もまだ生まれていません。

ロシア革命の翌年、第一次世界大戦終結の前年。タイタニック号沈没の6年後ですよ。船も溶接で量産されるようになるのは、第2次世界大戦中の米国まで時代が下ります。

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タイタニック号沈没の原因も、リベットの材質不良による脆性破壊でした。

Cimg2523 産業革命後、材料力学が発達するきっかけになったのは、鉄道事故と圧力容器の事故の多発だったと聞いています。

Cimg2529 圧力容器の接合部はリベット多かったのだと、こういうものを見て再認識しました。

航空機の外板はアルミ合金(ジュラルミン)で作られますが、その接合は現在も溶接ではなくリベットです。高力アルミの場合は、溶体化処理をすることでやわらかくしてリベット打ちをしますが、鋼のリベットの場合は真っ赤に焼いて打っているのを映画か何かで見たことがあります。この造船所でも、真っ赤に焼かれたおびただしい数の鋼のリベットが、飛び交っていたのでしょう。

そこで起こりうる不具合は・・・・・いろいろありそうだなぁ・・・・なんてことを考えながら、ここを後にしました。

ここで18:30はとっくに過ぎていましたので、よい写真は撮れませんでした。こちらのページにきれいな写真があります。

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コメント

>第2次世界大戦中の米国
でました!リバティー船。
圧力容器での完全溶接構造は戦後になります。
鉄道車両はS10年ごろから溶接構造を、『経費節減』の理由で多少強引に進めましたが、それは造船の新規技術(甲板などはすでに始まっていた)を流用した車両メーカーでした。その代わり新規なデザインが出た側面もあります。
その時期でも、1圧・2圧はリベット式を逃れられないでしたが戦時中はこのリベット工作不良と、材質不良、そのうえ原価低減のためリベットを間引きしたことからD51蒸気機関車はボイラー爆発や、機銃掃射が誘引で全体がバーストする事故が多発しています。(戦時設計の品は戦後新品のボイラーに乗せ換えました)

投稿: デハボ1000 | 2008年7月23日 (水) 21時16分

デハボ1000 さん こんばんは

なるほど、そうですか。圧力容器の接合方法の技術史を概観することができました。

>でました!リバティー船

リバティー船は、工業生産力の日米の差を象徴する船でしたが、破壊力学の分野ではグリフィスさんからアーウィンさんへバトンタッチされて、鋼の脆性破壊に適用が広がるきっかけとなった船でもありました。

現物保存してある古いコンプレッサを案内していただけたことで、私の中に接合部の技術史が活き活きとイメージでき始めました。

戦後のIHIの造船所にドイツ製の超音波探傷器が入り、友人のつてでそれを見た和賀井博士が、人体の超音波診断装置を開発して行く・・・非破壊検査の黎明期にもつながる・・・なかなか面白い。

投稿: SUBAL | 2008年7月23日 (水) 22時47分

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