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危ない遊び

前の記事で、お皿を割る話から壊れることを想定する話、遊びの危険性の話へと広がりました。

自分自身の子供のころを思い起こすと、ものを壊すという体験も、遊びの中では重要な位置を占めていたのではないかと思えます。

無難な線からいくと、遊びではありませんが薪割りを良くやりました。これもある意味では破壊行為で、力を入れずに割る方法などというものを自然に体得したものです。

廃材の板などがあると、空手やキックで割るなどという遊びをよくやりました。

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ガラスの瓶をコンクリートの壁に投げつけて遊ぶなどということもやりました。面白かったのは蛍光灯ですね。捨てられた蛍光灯を見つけると、地面に立てて遠くから小石を投げて割る、なんてことをしていました。石が当たると一瞬上の部分がほんの少しだけ浮き上がる感じで崩れ去るのです。

一度砂浜に捨ててあったテレビのブラウン管(CRT)を壊したことがありますが、これはスリリングでした。小石を投げたぐらいでは壊れません。少し大きめの石を勢いをつけて投げつけても壊れません。両手で抱えなければならないほどの石をぶつけることにしましたが、これは至近距離からしかできません。それまでの蛍光灯の経験から、割れたあとの破片の散乱で危険があることは予想できます。友達と二人で、腕を振り子にして放物線を描かせて石をぶつけました。ボスッ!という鈍い音を立てて壊れたと記憶しています。

これ以外にも危ない遊びは(ここには書けないようなことも含めて)ずいぶんやりましたが、自分の身が危険にさらされているぐらいのほうが遊びとしては面白かったですね。危ない遊びの中から多くのものを学んだと思います。ただ、その多くは教師や親の承認や監視の下でやっていたわけではありません。見つかれば怒られることを覚悟の上で、大人の目を盗んでやっていたわけです。

いくら「子供の遊びに内在する危険性が遊びの価値のひとつ」(国土交通省「都市公園における安全確保に関する指針」)だとしても、親や大人が許容する「危険性」にはきわめて狭い限定がつくのは明らかです。心や記憶に残る「危険性」やその裏返しの「安全性」の感覚は、大きな痛みや場合によっては命すら危ないかの知れない場面でのことではないでしょうか。しかし、その場面を大人が積極的に作ってやるようなものではないでしょう。親心としては、そんな場面に遭遇しても自分の身を守る感覚や術を身に着けて欲しいとも思います。

大人のできることは、たとえば薪割りのような危険を伴う作業を一緒に安全に行うことではないか、自分の子育ての反省をこめてそんなことを思うこのごろです。

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