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ボーイングジャンボ機墜落事故から24年

1985年8月23日にJAL123便が御巣鷹山に墜落してから24年です。「日航ジャンボ機墜落事故」といわれることが多いですが、私はことの性質からはボーイング社にその責任のほとんどがあり、表題のように呼称すべきではないかと思っています。
乗員乗客524名中520名が犠牲になるという単独航空機事故としては最悪の事故であったことは語り継いでゆくべきことだと思います。事故の概要はこちら
犠牲者の中には、歌手の坂本九もいました。

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といっても若い人は知らないのだよな。代表曲は、SUKIYAKI-SONGとして全米でもヒットした「上を向いて歩こう」です。何年か前の紅白歌合戦で平井堅とのコラボは映像技術の見事さにびっくりしました。そのとき歌われていたのは「見上げてごらん夜の星を」でした。

この曲は、先日紹介したアニメ「二つのスピカ」の中でもライオンさんのハーモニカとビギンの歌で効果的に使われていました。

60年代から70年代、やりきれない現実の中で歯を食いしばりながら、星空を見上げて口ずさむ歌として多くの人に支持された歌です。

1985年8月苫小牧東部にある石油備蓄基地で行われた原油備蓄タンク(11.3万KL)の初めてのタンク開放工事が、1200m^3のスラッジを残してしまうという大失敗に終わりました。その後始末として1200m^3のスラッジ(高い粘性を帯びた原油カス)を10日間24時間の昼夜突貫で人力で排出するという前代未聞の工事に携わっていました。無事故で終わりましたが、何人かの死者が出てもおかしくない工事でした。8月12日はちょうどひと段落がついたときで、蓄積された疲労と安堵で朦朧とした頭に、ジャンボ機が御巣鷹山に墜落した事故のニュースが飛び込んできたのです。

この工事の失敗の直後から、タンカーでは施工例があったCOW(共油洗浄)工法を気温条件の悪い北海道の地上タンクに適用する試みが開始され、私も中心メンバーの一人でした。いろいろな問題がありましたが、3年でマンホール開放時に緑色の底板の塗装色が見えるという予想をはるかに上回る成功にいたりました。

絶望的にも思える失敗から立ち上がるその転換点に起きた事故だったのです。その犠牲者の一人であった坂本九の歌声は、10代のころに聞いたものとは一味違い、胸の奥に刻み込まれました。

JAL123便の事故が起きたあとの整備スタッフの胸中は計り知れないけれど、JAL関係者との何気ない話の中で、123便に関連したふと出る話の端に声高には語らないけれど男の覚悟を感じるときがあります。

私にとって8月12日は忘れられない日のひとつです。

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コメント

歴戦の勇者 それは私たち後輩の中にいまだ残る伝説・・・
昔は在来工法しかありませんでした。
今は 先輩たちが残したくれたCOW工法があります。

大事なのはその工法を維持管理していくこと そして
その苦しさや 辛さを忘れずに覚えていきたい・・・
伝説って書きましたが 現実におきたことですから・・・
知っている上で 2度あの苦しみを起こさない!
 そんな気持ちです。

ボーイング社 そうですね・・・
整備 管理する人間側の気持ち・・・
不完全なものが完璧だといいながら使う側の気持ち・・・

数年前の製油所の大火。
消防法で震度4までしかもともと耐えられないタンク。
クレームで処理しようとする人々。
震度4ぎりぎりのコストで安く作ってくれって言ったでしょ?
撤退するメーカー。
火事を起こしたのは管理者が悪いという消防様・・・

大人たちの悲しい世界

それでも私たちは自分の技術を信じ、
頑張って よいサービスを目指していきたいです。

突然の乱雑な書き込み すみませんでした。

  できの悪い後輩T より・・・   


 

投稿: 蝦夷焼き菓子 | 2009年8月17日 (月) 18時52分

蝦夷焼き菓子 さん コメント有難うございます。

T8やT4を知っている後輩がこの記事を読んでくれたなんて驚きです。そしてとてもうれしいです。T??何人か思い当たるけれど・・・・。
今でもCOW工法を受け継いで維持してくれているのかなぁ。
この手の仕事は、何事もなく淡々と終わるというのが一番で、そのために現場に張り付いている人たちの気苦労は大変なものがあるのでしょう。もう24年ですからね。
現場にいるころは、直径82mのタンクが大火災を起こしている悪夢を何度見たか知れません。
製油所タンクの火災のときは、対岸から見ていました。たくさんの見物人の中に、当時現場で知り合った人たちもいました。複雑な想いでした。それでもあの火災事故で人的な被害が出なかったのは良かったです。
あの火災事故の引き金になった長周期地震によるフローティングルーフタンクのスロッシング現象のデータが、備蓄基地タンクに設置してあった加速度センサで世界で初めて採れた、と測定機器メーカーの人から聞きました。悲惨な事故から冷静に技術的に立ち上がろうとしている地味な人たちの存在が感じられて、このニュースはうれしかったです。
高い授業料を払ってI興産も変わりましたかね。
深夜のタンクでパンツの中まで原油まみれになりながら、木製のトンボでスラッジを押し、ヘーシンのモノーポンプを動かしていたのは忘れようにも忘れられません。
T8を経て、タンク開放工事の革命といっても良いCOW工法に、当時の仲間とともにかかわれたことは、私にとっての誇りです。
安全と人命第一で、技術に磨きをかけてがんばってください。

投稿: SUBAL | 2009年8月17日 (月) 20時08分

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