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「ネ-20」に関する古いノート(その3)

Iノートは石原宏氏が誰かからレクチャーを受けて書き残したものであろうと推測できます。レクチャーをしたのはどのような人物なのか、今となっては確定をする術は有りません。
Iノートのなかに気になるメモがありました。

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③「タービンロケット」の図のところの圧縮機(コンプレッサー)の段(静翼と動翼の組み合わせを段といいます)を示す箇所が丸で囲ってあります。その上に「小15%」と書いてあるメモです。
③の図の周りにはネ-20というメモが4箇所あり、ネ-20に強い関心があることをうかがわせます。
この「小15%」という記述はもしかしたらネ-20の改良型であるネ-20改に関するものかもしれない、そう思い始めたのです。というのは・・・。

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Ne201

ネ-20は、1945年1月から海軍空技廠で永野治氏らを中心にして設計開発が始められました。軍上層部から試作品製作と量産のための設計要請が同時になされて、度重なる仕様変更もあり現場との間で軋轢がずいぶんあったことが、いくつかの文献から伺えます。

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ネ-20の開発と平行して海軍は、1945年4月にネ-20の改良型であるネ-20改の設計を東大航空研究所に依頼しました。ネ-20とネ-20改の大きな違いは圧縮性能(圧縮比3)を維持したまま圧縮機の段数を8段から6段に少なくして(圧縮機を小型化して)、軽くすることででした。
ネ-20改は、試作されることもなく終戦を迎えて「幻のエンジン」となったものですが、21世紀になって設計図が見つかりました。その件を報じたNHKのニュース(2001年3月20日らしい)の動画が、YouTubeにありました(こちら)。ブログへの埋め込みはできないようです。

そこで石澤和彦氏が語っていることに注目しました。ネ-20改が実際に設計図通りに作られたら、ネ-20に比べて飛行機(橘花)の速度は15%向上し燃費は23%良くなるだろう、という試算結果です。試算の詳細は不明ですが、重量軽減から計算しているのでしょう。
この15%が、Iノートに記載された「小15%」と符合する考えられないでしょうか。
この推測が正しければ、ネ-20改の設計変更の内容とその性能目標に関する情報を知っている人が石原宏氏にレクチャーしたことになります。

ネ-20の設計試作の中心にいた種子島時休氏と永野治氏が戦後に書いた論文と書籍(その1で紹介)には、ネ-20改の話は一言も出てきてはいません。彼らは知らなかったのか、知っていたとしても関心がなかったのだと考えられます。

Tokyou このような情報を知っていてさらに他人に語れる人がそう多くいたとも思えません。ネ-20改は封印された「幻のエンジン」なのです。そうすると、石原宏氏にレクチャーした人は、ネ-20改の設計に携わった東大航空研究所の関係者の可能性が高くなるように思えます。
石原宏氏は戦後東大工学部に進学しています。ただ息子である山鳩さんの話によると、石原宏氏の同窓生に聞いたところ「(東大工学部では)軍事に関する授業は行われなかった」とのことです。Iノートは歌舞伎のチラシの裏に書かれているということからしても(いくら物資がなかったとは言え)正規の授業のノートではないでしょう。
とすると、別の個人的なコネクションということになります。(さらに続く)

P.S.「おい、いつまで続くのだよ、どうせ確定できないことだろうし、当時17・8歳の少年に誰がレクチャーしたのだとしても、それがどうしたってんだい」と思われているあなた。ごもっともです。でもここまで付き合ったのだから、最後まで読んでみてください。ついでにブログランキングの応援もしてもらえるとありがたいのですが・・・happy01

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