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「ネ-20」に関する古いノート(その2)

Iノートはいつ何ために書かれたものなのか、わずかな手がかりしかありませんが、推理をしてみたいと思います。

まず、書かれている内容ですが、その1での述べたように戦時中軍が開発しようとしていたレシプロエンジンに変わる新型エンジンに関するものといえそうです。戦後数年してから、当時の技術者や研究者がこの開発過程を書き残した文章がありますが、そこでは欧米の言い方に倣って「ジェットエンジン」もしくは「ガスタービンエンジン」という言い方がされています。ところが、Iノートでは「ロケット」という呼称を用いています。旧日本軍が使用していた用語で書かれたものなのです。

「ネ-20」の文字があることから考えると、ネ-20という名がつけられて開発計画書が書かれたのが昭和19年(1944年)10月、つまり終戦の10ヶ月前ですから、書かれたのは1944年10月以降であると言えます。
書いたのは終戦当時で17歳だった人物(石原宏氏)です。息子さん(メールをくれた山鳩さん)によると、石原宏氏は終戦後東京大学工学部に進学しますが、鉛筆書きは終戦までで戦後は万年筆を愛用して文章は必ず万年筆で書いていたとのことです。

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書いてある推力の式(F=m×(v1-v0))は、今でこそ図書館に行って調べれば17歳の少年でも見つけることはできますが、戦中戦後の時期では一般の書籍に掲載されている情報ではなかったはずです。誰か石原宏氏にレクチャーをした人物がいるはずです。
終戦までは、開発中のエンジンについての情報は最高の軍事機密でしょうから、石原宏氏の身近にこの情報を知っている人物がいたとしても、これを17歳の少年にメモを残すような形で伝える人はいないと思います。以上からこのノートが書かれたのは、1944年10月以降であり、おそらく昭和20年(1945年)8月15日の終戦以降1年程度以内のことだろうと推測できます。時期についてはこれ以上詰めることはできません。

では、石原宏氏にレクチャーをしたのは誰なのか、という問題です。
これは私の主観になりますが、Iノートを見ていると、未完に終わったエンジンに関する新技術について、ずいぶん熱心に伝えようとしている人物がノートの背後に見えるような気がします。

終戦を迎え、航空技術に関する機材や資料はGHQに没収されるか焼却処分されました。それまで、必死に開発を続けてきた技術者や研究者は8月15日を境にして、それまでのすべてを手放さざるを得なかったのです。技術者や研究者であれば、それまでの成果を残したい伝えたいと思うのは自然の気持ちでしょう。たとえば、終戦後数年経ってからではありますが、ジェットエンジン開発の中心にいた種子島時休氏は酣燈社の「航空情報」という雑誌に「日本のターボジェット研究の始めから完成まで」という論文を投稿していますし、永野治氏は1950年に「ガスタービンの研究」という本を執筆して1953年に鳳文書林から出版しています。

終戦当時17歳の石原宏氏にこうした技術者や研究者との接点が有ったのでしょうか。このご家族について私はほとんど何も知りませんが、山鳩さんから伺った情報からするといくつかの接点がありそうです。(以下つづく)

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