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恩師からの手紙 その1 50年の歳月

 1月に都内某所で小学校の同級生に会ったことをブログ記事にしました(その1 その2)。その時に担任の先生の話題になり、「ご存命かなぁ・・・可能ならばこの出会いを知らせたいなぁ」という話になりました。

 私たちが小学校を卒業したときに、たぶん40歳は超えていたはず。とすれば、それからおよそ50年の歳月が流れていますので、90歳を超えているはずです。難しいかな、と思っていました。

 3月、五重塔の執筆・校正が終わったころ、ものは試しでGoogleで検索してみました。お名前と地名(釧路)を入れてみました。出てきました。

 こちらのページです。北海道の名付け親でもある松浦武四郎の生家がある伊勢本街道で、釧路新聞社が後援して釧路俳句連盟が俳句を書いた行燈を並べたという行事の紹介です。その中に、

海霧深し 久摺の街の 未知拓く  濱野 正則』

 名前は一致、句の雰囲気もいかにも濱野先生らしい感じがします。これはビンゴだと直感しました。そこで、釧路新聞社に事情を書いて濱野先生の連絡先を知りたい、ついては釧路俳句連盟の連絡先だけでも教えていただけないか、と問い合わせのメールを出しました。3週間以上経ちますが、返事はいただけていません。新聞社なんてそんなもんですかな、とあきらめました。

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 小学校の同級生の連絡先の情報は全くありません。お手上げかな、と思いました。

 あるときお風呂に入ってぼんやりしていた時、“そういえば南大通りの菓子屋の息子S、彼は高校の同窓生でもあり信用金庫に勤めていたはずだ・・・ここからたどれないか”と思いつきました。

 早速Googleで検索。名前は同姓同名がたくさんありそうな名前だったので、信用金庫の名前を加えて検索。出てきました。現在の勤務先、電話番号もわかる。さっそく電話しました。

 「おお、SUBAL(もちろん電話では本名)か!久しぶりだな。どうした・・・。」

 さすがに地元信用金庫、濱野先生の住所を知っていて教えてもらいました。

 手紙を書きました。手紙に若干加筆訂正したブログ記事をプリントアウトしたものと、「五重塔の科学」を同封しました。

 10日で返事がきました。

Img_1678

 「この度は50年も前の思い出が走馬灯のようにかけぬける懐かしい貴重なお便りを頂きありがとうございました。」から始まる、ペン字で便箋6枚です。

 中には、釧路にいる同級生が濱野先生を囲む会を開いたこと、その時私の消息が話題になり誰も知らなかったこと、その後北海道新聞に私の記事が載りそれを見つけた濱野先生がコピーを同級生のところに送ったこと、などが書かれていました。

 私は驚きました。50年も前の卒業生の一人である私のことを覚えていた、消息を心配していた、そしてそれなりに元気でいることを知ってそれを喜んでくれていた。

 私と1月に会ったS君のことについても、先生が彼を気にかけていたあるエピソードが手紙に書かれていました。そのことは私は知りませんでした。

 正直、久しぶりに涙腺が緩みました。何度も読み返しました。そうなんだ、そうでしたか。40年を超える教員生活、直接の教え子だけでも数千人になるはずです。とてもではありませんが私にはできません。

 教え子の元気と活躍を無条件に喜ぶ、この方は90歳を超えてもなお、教師であり続けています。この方に出会えて、本当に良かった。改めてそう思わせる手紙でした。

 この手紙には、何首かの俳句が添えてありました。そのひとつ。

眼閉じて(まなとじて) 幼き日々や 雪解路

 同感です。

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