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坂口謹一郎と本田宗一郎

 理化学研究所の正門の謎、そのカギを握る人物は当時の理研副理事長であった坂口謹一郎と、本田技術研究所と本田技研の創立者である本田宗一郎であろうと仮定してみました。

 ではこの二人にどんな接点があったのでしょう。

  理研と本田宗一郎=本田技研の関係でいえば、まず第一に思い浮かぶのがピストンリングです。

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 本田宗一郎は、1937年(昭和12年)3年間「エンジンに欠くべからざる部品としてピストンリングに目を付けるが、経験からだけではどうにもならない学問的な壁に突き当たり、浜松高等工業学校(現在の静岡大学工学部)機械科の聴講生となり、3年間金属工学の研究に費やす。」(Wiki)とあります。

 理化学研究所と交流が無かったはずがありません。理化学研究所が設立したピストンリングの会社である株式会社リケンのHPに掲載されている顧客・取引先のトップに本田技研が掲げられていることからも、浅からぬ関係がうかがい知れます。

 理化学研究所の副理事長である坂口謹一郎と面識があっても不思議ありません。でも坂口は化学分野の人です。

 利害や関心が直接合わなくても、何らかの関係で知り合って意気投合することはあります。

 坂口謹一郎は「酒博士」、合成酒の研究で有名な方のようです。うん!酒?合成酒?

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 本田宗一郎の経歴の中に、終戦直後に合成酒を作っていたという記述がありました(wiki)。そこに坂口謹一郎を結び付けるのは、少々強引かもしれません。

 もうひとつ、誕生日。坂口謹一郎は1897年(明治30年)11月17日、本田宗一郎は1906年(明治39年)11月17日 、9年違いで同じ誕生日なのです。

理化学研究所の強引とも思える正門の設置の裏にもしかしたら米軍から土地を譲り受ける交渉の裏に、坂口謹一郎と本田宗一郎との酒席での意気投合があった、そう想像してみました。そこにもう一人人物がいた。その人物の名前は多分姓は不肖なれど〇一郎。

 理研の三太郎に対して『和光の三一郎』、単なる妄想ですけれどね…┐(´-`)┌。

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