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父の命日+3日

 8月23日は私の父の命日でした。31年前、1983年(昭和58年)8月23日未明に父は釧路の労災病院で亡くなりました。

 私と父とは誕生日が3日違い、私は今年父が亡くなった年齢になりました。つまり、今朝から私は父の生きた年月を超えて生きていることになります。

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 頑固で融通の利かない父でした。話下手で、ともかく何よりお酒が好きでした。

 農林系の学校を出て営林署に努めていましたが、23歳の時太平洋戦争が勃発。文字通り銃弾の下を潜り抜けてきたようです。戦闘が収まって水を飲もうとしたら、背中にしょっていた水筒が撃ち抜かれていて水が飲めなかったという話は子供のころに聞きました。

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 戦後実家のあった山口県に引き揚げてくるも、いろいろなことがあったらしく、私が4歳の時に北海道の釧路市にわたりました。

 釧路市では畑違いの港湾荷役の会社に勤めて、最初は荷役作業員をしていたようですが、経理を一から勉強して経理マンとして家族の生活を支えました。

 55歳で定年退職。釧路市郊外の小さな自宅に温室を作り、植物を育てて、時々は山に行くという生活をしていました。

 父が亡くなった当時、私は苫小牧の小さな会社に勤めて、超音波探傷の2種(現在のレベル2)の試験にようやく受かったところでした。方向が定まらぬ息子の行末を心配していたに違いありません。

 お盆に帰省した時、医者からは手の施しようがないといわれていました。そのことは父にはつげていませんでした。

 お盆帰省から戻る日、「また来るから」という建前の会話をしながら、もうこれが最後になることをお互いに覚悟をした短い会話をしました。

 「じゃぁ」と言って、私が病室を出た後、父は声をあげて泣いたと後で母から聞きました。人前でも家族の前でも決して涙を見せるような人ではありませんでした。

 この文章を書いて気づきましたが、物心がついていない幼い日を除くと父の言うことに私が「わかった」と応えたのは、これが最初で最後だった気がします。 

 昨日横浜市内にある某会社で超音波探傷に関する相談を受けて、私は今日8月26日の朝を横浜公園近くのホテルで迎えました。

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