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霞が関ビルと五重塔

 9日の超音波セミナーは霞が関ビルの20階で開催されました。

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 地上36階地下3階、いまでこそ普通ですが、1965年着工1968年竣工の日本で最初の超高層ビルです。1968年私は高校2年生。高度成長期のど真ん中です。

 私は今回はじめて1階より上に上がりました。

 セミナー会場の窓から外を見ると首相官邸が見えました。

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 屋上にはいつでも脱出できるようにでしょう、ヘリポートが見えます。

 で、トイレで面白いものを見つけました。

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 男子トイレの小用便器の前の壁に小さなパネルがありました。

「霞が関ビルは地震の時ゆらゆらと軟らかく揺れる五重塔を参考にした鉄骨構造になっています」(文面正確ではありません)と耐震性が説明されていました。

 たぶん、トイレに入っているときに地震が来ても慌てずに落ち着いた行動を促すためなのでしょう。

 このパネル写真に撮ってやろうと何回か挑戦したのですが、隣に人がいないときがありませんでした。変態おやじと間違われてもね・・・断念しました(残念!!)。

 霞が関ビルを設計したのは、建築学会のドンで鹿島建設の副社長でもあった武藤清です。

 武藤清のWikiにはこのような説明があります。

「関東大震災の直後から構造振動解析の研究に着手し、関東大震災の経験から、耐震構造学の体系をつくりあげる。地震エネルギーを吸収する柔構造の理論を確立することで、柔構造による超高層建築が可能であることを明らかにした。また五重の塔の耐震性の高さから、高層建築の耐震構造には柔構造が適しているという結論に至った。」

 霞が関ビルのトイレのパネルの説明も、この線に沿ったものでしょう。う~ン!違うとも言い切れないけれどね。もう少し経過をきちんと説明してほしいよね。

 関東大震災の後、震災被害を受けて今後地震に耐える構造物はどのようにすべきかの論争が起きました。いわゆる「柔剛論争」です。

 この論争は、五重塔に代表される柔構造を鉄骨構造として作るべきだと主張した北大出身の海軍省技師の真島健三郎と東大の佐野利器を中心とした当時の建築学会の権威との論争でした。

 武藤清は佐野利器門下の筆頭として剛構造論者として激しい論争の先頭に立ったのです。

 真島健三郎が1941年に亡くなって論争は終わったのですが、戦後武藤が霞が関ビルを設計する段になって、真島が主張した鉄骨による柔構造を取り入れていくという経過をたどるのです。

 単純に論争に勝った負けたではなく、このプロセスはとても面白いです。

 実は「おもしろサイエンス 五重塔の科学」(日刊工業新聞社)を書いた動機のひとつが、この論争の面白さを伝えたかったからでもあります。

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