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どん底の『時代』

 30年前の8月、苫小牧東部石油共同備蓄T8の開放工事の中にいた。

 石油備蓄基地にある11.3万KL(直径82m高さ10m)の原油タンク、その最初の開放工事だった。マンホール開放時予定を大幅上回る千数百トンのスラッジ(油泥:原油の中の比重の高い成分、泥水が混じったもの)がタンクの中に残された。

 後は、人が中に入って掻きだすしかない。道具は木の板に柄をつけただけの「トンボ」と呼ばれた、油泥を押す原始的なもの。それを使いエアーで動くアルキメデス螺旋を組み込んだモノーポンプのあるところまで人力で押して運ぶ。ともかく人海戦術。

 電動の機械は入れられなかった。金属がぶつかって出る火花も、静電気も点火源となり発生させてなならない。お米を燃料にして、火花も静電気の発生させることなく、抽象的な指令だけで動く『機械』それは『人間』というわけ。

 中は原油の中から出てくる可燃性ガスの匂いが充満し、湿度はほぼ100%の中でのひたすらの肉体労働。これを24時間、3交代のチームを組んで行った。

 直径82メートルのタンク内は想像以上に広く感じる。中に入ると反対側の壁は見えない。入り口のマンホールは外光が差し込んでいるが、靄の中にかすんで見える。

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 僕は、非破壊検査をする検査課に所属していたが、検査だけで成り立つほどの仕事量は無かった。T8を会社かけた大きな仕事だったので、当然のようにそのチームに組み込まれていた。

 このスラッジ掻きだしの仕事は、その前にもやったことがあったがT8は規模が違っていた。20世紀の後半に、まだこんな仕事があるのかよ、と思った。

 ヘドロと石油ガスが混じったような臭いは、風呂に入ってもとれなかった。

 「なんでこんな仕事を俺がしなければならないのだ」と正直思った。ただ、有効求人倍率0.24の中でようやく見つけた会社だった。懸命に勉強してMT・PT・UTの2種(今のレベル2)をようやくとったばかりだった。

 不思議だったのは、仕事が過酷であればあるほど仲間意識が濃くなること。今でもその当時の仲間は懐かしい。

 あわや大事故という場面もあった。仕事帰りに居眠り運転をして信号機の鉄柱に激突した仲間もいた。

 そんな中、あの御巣鷹山の墜落事故が起きた。

 胸にしみ込んでくる歌があった。中島みゆきの『時代』。

♪~そんな時代があったよね、いつか笑える日が来るさ~♪

 YOUTUBEで探していたら、ストリートミュージシャン富田麗香が歌う『時代』があった。

究極の肉体労働でついた体力、「どん底」とそこでもがいた体験、それがその後の僕を支えてきたと、今は思う。

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