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本多光太郎の肖像画がある応接間で・・・

 1994年今から21年前の秋口に、私は仙台市青葉区にある東北大学工学部へ行きました。伊達和博教授に会うためです。

 約束の時間に訪問すると秘書の方に応接室に案内されました。大きな応接室の椅子に腰かけると、目の前には本多光太郎博士の大きな肖像画がかけてありました。

 物おじしないことが取り柄の私でも、少々緊張しました。本多光太郎から連綿と続く金属工学のいわばメッカのど真ん中、そこでこれから会う人が伊達教授。

 仙台で青葉城址の近くで合う伊達氏。仙台で伊達と言えば、誰もが伊達政宗公を思い浮かべるでしょう。

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 殿様の家系の可能性が高い・・・そう思っていました。

 やがて伊達教授が部屋に入ってきました。大柄で物静かな感じ、いかにも殿様という雰囲気(?)を醸し出していました。

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 私の方の用件は、勤務していた航空専門学校で超音波探傷教育を立ち上げるにあたって、資格試験を学校で実施していただけるようお願いすることでした。伊達教授は、日本非破壊検査協会(JSNDI)の当時試験委員会のトップ(委員長)でした。

 私の主旨と要望の説明を黙って聞いておられた教授は、「承知いたしました。では早めに書類にして提出してください。」と。この短い答えも、いかにも殿様の雰囲気です。

 そのあと伊達教授は私が提出した学校のパンフレットを1枚1枚ページをめくりながら、ゆっくり読んでいます。こういうとき、たいていはさらっと見ておしまいです。学生募集用の10ページ前後のパンフレットですからね。本多光太郎の肖像画を背景にして、写真・文字を1ページごと丁寧に黙って読んでいます。パンフレット作成にもかかわった身としては、正直何を考えているんだろう、と気になります。殿様の優雅な読書?

 「なにか気になることでも?」と問いかけると、伊達教授は顔を上げて初めて顔を上げてわずかに微笑んで、「よかったら僕の研究室に来ていただけますか?」

 廊下を通って教授の部屋に入りました。大学教授の部屋としては、ごく普通です。壁際には大きな本棚があって音波・超音波・材料に関する専門書や学術誌などが並んでいます。窓際には教授席と思われる椅子と机がありました。

 教授席の近くに着席を促されて座ってみて驚きました。教授席から立たずに手を伸ばせば届く範囲にある本は、全て航空機関連の書物なのです。

 聞けば東北大学の学生時代、航空部に所属していたとのこと。航空機マニアの中では有名な学生が設計製作をして耐空証明をとり実際に飛ばすことが出来たグライダーである「東北大学式キュムラス型複座ソアラー」を作った時代のメンバーだったのです。

 耐空証明をとる時の苦労話、その資料は伊達研究室で保管していること、現在も航空部の顧問をしていて、グライダーの練習や合宿計画にかかわっていることなどを楽しそうに話されました。

 会話が対等な雰囲気で盛り上がりましたので、疑問を投げかけてみました。「先生はもしかして、伊達政宗の子孫にあたるのでは?」

 「私は北海道の三笠市出身で、炭鉱マンの息子ですよ」

 なぁーんだそうか。私も炭坑が基幹産業のひとつであった釧路市で育って、炭鉱マンの息子の同級生や知り合いがいます。ま、「平民」だわな(笑)。

 その後非破壊検査の資格制度の話になり、伊達教授は「非破壊検査資格者のステイタスを上げなければならない。資格制度を改革するモデルのひとつは航空機に関する資格制度だ」という話をされて、そこでは私の考えと完全一致でした。

 私より2つ3つ年上で当時40代半ば。出会って数時間でピーンと来るものがありました。

 それから数年後、伊達教授は急逝されました。無念です。

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