« 阪神・淡路大震災から23年と五重塔 | トップページ | 「大雪」東京 混乱許容設計? »

ブラタモリ 田園調布 多摩川 海軍技師真島健三郎

 土曜日、首都圏のホテルでブラタモリを見ました。タモリの自宅がある田園調布がテーマということで、いつもよりだるい雰囲気で始まりました。でも面白かったですね。

 田園調布といえばお金持ちが住む高級住宅街。欧州のパリを模して、渋沢栄吉のせがれが住宅地として開発して分譲したという話は、まぁそうですかという感じでした。

 もともとは高級住宅街として開発したのではなく、今の価格で3000万円程度、サラリーマン向けだったとこのと。高級住宅街になったのは関東大震災のあと、当時のエリート層であった軍人が移り住んだことがきっかけであったと紹介されました。海軍技術研究所(目黒)、陸軍駒沢練兵場が近かったことも要因としてあったとのこと。田園調布は、国分寺崖線と呼ばれる古い安定した地盤の外れに当たることが紹介されていました。このあたりからがぜん面白くなりました。

Denentyohuthumb730x4866345

武蔵野と水辺」より

 連想ゲームのように一人の人物が浮かび上がりました。海軍技師だった真島健三郎です(前の記事)。関東大震災後、たった一人で当時の建築学会の権威たちと重剛論争を繰り広げた人物です。東京の下町は関東ローム層のやわらかい地層です。山の手の地盤のしっかりしていたところは関東大震災でも被害が少なかったと聞いています。当然、地震の被害について論争していた真島健三郎もそのあたりも調査していたはずです。

にほんブログ村 科学ブログ 技術・工学へ
ポチッとクリックで応援

 真島自身が田園調布に移り住んだのかはわかりません。しかし、真島が何ららかの形で海軍の技師たちに影響を与えたことは想像に難くありません。

 昨日から、羽田空港近くのホテルに移りました。多摩川が近いので、行ってみました。

Img_3386

 夕暮れ時でした。多摩川の下流、穏やかな川面に夕焼けが写っていました。右手に川崎大師が見えます。

Img_3387

 真島健三郎は香川県出身ですが、札幌農学校(後の北大)で土木工学を学んでいます。この日(21日)朝に、60年安保当時ブント(共産主義者同盟)の闘士として北大の唐牛健太郎とも親交のあった西部邁氏(その後東大教授・保守派の論客;北海道長万部町出身)が自宅のあった田園調布近くの多摩川に入水して自殺したとの報が流れていました。

 95年前に関東を襲った大地震、東京という街も大地震からそしてその後の戦災から復興した街でしたね。関東震災からおよそ100年、終戦から73年、60年安保から58年・・・。暮れなずむ風景の中で、私の妄想はゆったりと翼を広げて川面を飛んでいました。

にほんブログ村 科学ブログへ
現在5位です

|

« 阪神・淡路大震災から23年と五重塔 | トップページ | 「大雪」東京 混乱許容設計? »

旅行・地域」カテゴリの記事

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

科学技術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/222291/66308620

この記事へのトラックバック一覧です: ブラタモリ 田園調布 多摩川 海軍技師真島健三郎:

« 阪神・淡路大震災から23年と五重塔 | トップページ | 「大雪」東京 混乱許容設計? »