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追悼 浦靖則さん

 30日の新聞を見ていて、おくややみ欄に1980年代に出光エンジニアリングの共備事務所所長であった浦靖則さんの訃報を知り、お通夜へ行ってきました。50人弱の人が集まっていました。その中には、1980年代に、苫小牧の石油備蓄基地や出光の製油所あたりで一緒に仕事をした懐かしい顔もありました。

 第2次オイルショックの時に失業をして、職を求めて苫小牧市にやってきてからの約10年間は、主に石油の製油所・油槽所・備蓄基地で働いていました。出光エンジは仕事を発注してくれるお得意さんのひとつでした。まぁいろいろな人がいて元請け下請けの関係で、人知れず舌を噛み握りこぶしを握ったこともありました。浦さんは違いましたね。一人の人間としてエンジニアとしていろいろなことを教えてもらいながら一緒に問題解決に奮闘した記憶がよみがえります。苫小牧市で出会った忘れられない人の一人です。

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 特に、当時国策で出来たばかりの石油備蓄基地、5年に一度の法定点検のためのタンク開放工事の実務を当時40歳そこそこであった浦さんが担い、私が勤めていた会社も協力会社(下請け)のひとつとして参加していました。民間備蓄(共備)のT8を在来工法で実施しましたが、これが大失敗。そのリカバリーを文字通り死に物狂いで行いました。その真っ最中にTVでJALジャンボ機御巣鷹山墜落事故が報じられていました。そしてそのあとのCOW(Crude Oil Washing 共油洗浄)工法の採用。生涯の中でも忘れられない体験です。当時の同僚と同じように、浦さんも共にに奮闘した”仲間”という感じがします。

 直径82m、高さ10m、11万4千kLの原油を備蓄するタンクが、88基。GooglMapで見下ろすと点のようですが、ひとつひとつが巨大です。中でもT8・T3・T14は忘れられません。

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 浦さんは昭和19年(1944年)山口県生まれです。私より7つ年上の同郷です。徳山の高校を出て出光興産に就職をして、30歳を前にして1970年代の半ばに出光の北海道製油所建設と同時に苫小牧市に来て、四十数年。一所懸命働いて、愉快で元気な奥さんと出会い、北海道の港町で愉しく生涯を過ごされました。浦さん、ありがとうございました。安らかにお眠り下さい。

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