「ネ-20」に関する古いノート(その4)
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Iノートは石原宏氏が誰かからレクチャーを受けて書き残したものであろうと推測できます。レクチャーをしたのはどのような人物なのか、今となっては確定をする術は有りません。
Iノートのなかに気になるメモがありました。③「タービンロケット」の図のところの圧縮機(コンプレッサー)の段(静翼と動翼の組み合わせを段といいます)を示す箇所が丸で囲ってあります。その上に「小15%」と書いてあるメモです。
③の図の周りにはネ-20というメモが4箇所あり、ネ-20に強い関心があることをうかがわせます。
この「小15%」という記述はもしかしたらネ-20の改良型であるネ-20改に関するものかもしれない、そう思い始めたのです。というのは・・・。
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Iノートはいつ何ために書かれたものなのか、わずかな手がかりしかありませんが、推理をしてみたいと思います。
まず、書かれている内容ですが、その1での述べたように戦時中軍が開発しようとしていたレシプロエンジンに変わる新型エンジンに関するものといえそうです。戦後数年してから、当時の技術者や研究者がこの開発過程を書き残した文章がありますが、そこでは欧米の言い方に倣って「ジェットエンジン」もしくは「ガスタービンエンジン」という言い方がされています。ところが、Iノートでは「ロケット」という呼称を用いています。旧日本軍が使用していた用語で書かれたものなのです。
「ネ-20」の文字があることから考えると、ネ-20という名がつけられて開発計画書が書かれたのが昭和19年(1944年)10月、つまり終戦の10ヶ月前ですから、書かれたのは1944年10月以降であると言えます。
書いたのは終戦当時で17歳だった人物(石原宏氏)です。息子さん(メールをくれた山鳩さん)によると、石原宏氏は終戦後東京大学工学部に進学しますが、鉛筆書きは終戦までで戦後は万年筆を愛用して文章は必ず万年筆で書いていたとのことです。
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日本初のジェットエンジン「ネ-20」とその開発物語が好きで、CGでの再現を試みて公開をしています。そのHPを見たという方から丁寧なメールをいただきました。本名、住所、電話番号がきちんと書かれた礼儀正しいメールです。
そのメールには添付ファイルがありました。左の図(以下Iノートと呼びます)です。ジェットエンジンに関する図であることは一目見て分かりました。ジェットエンジンを「ロケット」と称していることがひとつの特徴で、これは戦時中それまでのレシプロエンジン(=ピストンエンジン)に変わる新しいエンジンの開発を試みた軍関係で使われた用語なのです。その図の中に「ネ-20」の文字が4箇所に書かれています。
メールをくれた山鳩(ハンドルネーム)
さんが最近自宅で発見したものとのこと(山鳩さんのブログ記事)で、筆跡などから3年前に他界されたお父様が若いころに書いたものだとのことです。お父様は終戦のときは17歳の少年。お父様のお父様(山鳩さんの祖父)は、「軍事産業の経営陣として浦賀船渠や大日本兵器に奉職し、スイスのエリコン社とも交渉があった」方とのことでした。
これがどのようなノートなのか、ヒントになるようなことを教えて欲しいという趣旨のメールでした。
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お盆ですので、我が家の小さな仏壇もそれなりに飾り付けて、家族でお参りをします。
終わってから息子に「盆灯篭の絵が回るのは、ジェットエンジンに使われているガスタービンと同じ原理なのだよ。」とおやじの薀蓄。
「白熱灯で熱せられた空気が上昇する運動を回転運動に変えているのだね」と息子。
「エコで灯りがLEDに変わったら、回らなくなる?」と娘。
「そのときはモーターで回せば良いだろう。」と私。
「別に抵抗を設けて空気を熱するという手もあるけれど。」と息子。
「なんだか情緒ないね。」とつれあい殿。
回り灯籠は、いつからあったのでしょう。それなりに近代的になっているのでしょうし、これからも時代とともに変わっていくのでしょう。
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先日紹介した「ねじのひみつ」(サイエンス新書:ソフトバンク クリエイティブ)の中に航空機用のボルトとして12ポイント・ボルトが紹介されています。写真ではなくてCGになっていて、表紙にも大きく掲載されています。
この現物をモデルにしてCGを作ってみました。現物のボルトには使用感がありますが、CGでは新品のようになります(使用感を出すこともできるのですが、それには表面材質の設定に相当凝らなければなりません)。
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日本初のジェットエンジンネ-20は、1944年7月ドイツから帰国した巌谷氏が持ち帰ったドイツのジェットエンジンBMW003の一枚の図面を、当時国産のジェットエンジン開発を行っていた種子島時休氏らが見ることで、ネ-12から軸流式のエンジンに設計変更することに決まって作られたものでした。
BMW003の図面といっても、左のような簡単な断面図1枚でした。この図面は、日本にもたらされたものの当時のコピーで現在は金沢工業大学ライブラリーセンターに保管されています(石澤和彦著「橘花 日本初のジェットエンジン ネ20の技術的検証」より転載)。当時日本側にもたらされた情報は、この図面とJUMO004の見聞録だけでした。
この図面、寸法は入っていないようですが、何か手がかりがあれば(=寸法がわかるパーツがあれば)寸法を追うことはできそうです。
スターターを取り付けるフランジもしっかり書き込まれていて、フランジのボルト孔間の距離PCD ( Pitch Circle Diameter)も追えそうです。あるいは逆に、このPCDが既知である事で、ほかの寸法が割り出せるということになるのかもしれません。
BMW003のもう少し鮮明な図面と比べてみましょう。
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IHI昭島事務所の史料館に保管されている日本初のジェットエンジンネ-20、そこに付けられているスターターは米国GE社製で、米国にわたっている間に取り付けられたことは明らかです。そのアダプターにJUMOの刻印がされていることがわかりました。
これが、戦前のドイツで作られたジェットエンジンJUMO004用に作られたアダプターではないか、という仮説を立ててみました。検証する手段はないのですが、推測を補う程度考察はしてみることにします。
まず、ネ-20のスターターのフランジサイズです。これが明らかになった図面は、手元にはありません。おそらく公開になっているものにはないでしょう。石澤和彦著「橘花 日本初のジェットエンジン ネ20の技術的検証」には、左の図があります。ここから、フランジの寸法を割り出しました。
寸法のわかっているところの画素数を数えて、1ピクセルあたり何ミリになるかを求めて、フランジのボルト孔間の距離PCD ( Pitch Circle Diameter)を出すというやり方です。
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今回、A6M232さんからいただいたネ-20に関する写真の中に、今まで文献上には記載されていない新たな事実が判明しました。それは、スターターに関するものです。
ジェットエンジンは、コンプレッサー(圧縮機)の動力をタービンから得ていて、このタービンはコンプレッサーで圧縮された空気に燃料を混ぜて燃焼させたガスのエネルギーで回転します。いったん回り始めるとサイクルが成立するのですが、最初はコンプレッサーを外部から回して、空気を圧縮してやらなければなりません。現在の旅客機では、APU(Auxiliary Power Unit:補助動力装置)という小型のジェットエンジンが飛行機のお尻のところにあって、このAPUで作られた圧縮空気でジェットエンジンを始動しています。
ネ-20では、圧縮機のシャフト(軸)に5kwの電動モーターがスターターとして直結されていました。ところが、日本に帰ってきたネ-20には、12kw(30V 400A)の米国GE社製のスターターが付いていました。写真の黒い円筒形のものがそのスターターです。
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昨日公開した日本初のジェットエンジンネ-20のタービンに見られた割れについて、原因その他詳細はわかりかねますが、手元にある資料から、このタービンの履歴をたどることで、考える手がかりを探ってみたいと思います。
タービンとブレードは溶接によって接合されていました。右の図は、石澤和彦著「橘花 日本初のジェットエンジン ネ20の技術的検証」三樹書房(2006) に掲載されているものです。溶接によるひずみを軽減するために、φ1.5mmの銅線を埋め込むかたちで溶接されています。
ネ-20開発の中心人物である永野治氏の「ガスタービンの研究」鳳文書林(1953)には、ブレードの固定方式について
「ネ-20に於いて振動による翼亀裂対策のひとつとして一度振動減衰効果を期待して丸棒挿入方式を用いてみたけれども、充分な比較検討を行う前に溶接式のもので耐震強度充分となったので、生産には手馴れた溶接式を採った。」
と記述されています。
「ガスタービンの研究」には、タービンのブレード後縁から生じるクラックに対する検討対策が詳しく書かれています。
ネ-20はわずか7.5ヶ月間という短い開発期間で1945年(昭和20年)8月7日千葉県木更津で12分間の初飛行に成功したものの、終戦によって大部分が廃棄されて、一部が米軍によって接収されました。
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昨日に続いてA6M232さんからいただいたネ-20の写真です。
後ろ側からタービンを覗いた写真です。私が一番撮りたかった写真が、このタービンディスクの割れなのです。続きでクローズアップ写真を掲載します。
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ブログやっててよかったなぁ(*゚▽゚)ノ。
4年に1度の国際航空宇宙博に行きたかったなぁ、という記事を以前に書きました。日本初のジェットエンジンネ-20に再会したい、写真を撮りたい。
そうしたら、昨年10月の国際航空宇宙博で写真を撮ってきたという方から連絡をいただきました。この記事にコメントを寄せてくれたハンドルネーム「がらんどう」さんです。
今回、がらんどうさんのコメントの中に出てきたA6M232さんからメールをいただき、ネ-20の写真をたくさん送っていただきました。
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航空工場検査員の試験日程が1週間ずれていれば、パシフィコ横浜で開かれていた2008国際航空宇宙展に行ったのですが、上京は来週の水曜日からです。
目的は、いろいろ見て歩くこともあるのですが、なんといっても4年に1回公開されるネ-20を見ること。ネ-20のファンなのです。
国際航空宇宙展で2回(4年前と12年前)、IHI田無工場で1回、昭島事務所で1回、都合4回見ているのですが、いずれもちゃんとした写真を撮れていないのです
。IHIでは、たっぷり独占状態で見せてもらいましたが、写真撮影はNG。
今年はチャンスだったのですがね。毎年10月第1週に行われていた航空工場検査員の国家試験が、今年は第2週。
残念、と思っていたら先ほどメールが入りました。
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KADOTAさんのブログによると、8月7日は機械の日ということです。七夕の日にちなんだということのようです。
1945年(昭和20年)8月7日は、日本初の国産ジェットエンジンが初飛行に成功した日なのです。広島に原爆が落ちた翌日、長崎への原爆投下の2日前、終戦の1週間前という日です。8月7日、私はシャボン玉の歌を思い起こしながらネ-20を偲びます。
私は、前間孝則さんの「ジェットエンジンに取り憑かれた男」を読んで、永野治さんとネ-20が好きになり、調べ始めました。
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機械要素のかたちというのは、機能を追及したものですが、ときに美しいと感じることがあります。
これは、ターボジェットエンジンJ34に取り付けられているベベルギア(Bevel Gear)です。日本語で言うと傘歯車。回転軸方向を換えるメカニズムです。
エンジンのメインシャフトのトルクを燃料ポンプに伝えるものとして使われています。この燃料ポンプには、トロコイドポンプが使われています。
ローラーベアリングやスプラインも見えています。
金属の花のよう、と感じるのは私だけでしょうか。
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日本初のジェットエンジン「ネ-20」のCGを作って楽しんでいる話は何度か書きました。
YOUTUBEに、NHKが報じた「ネ-20改」の図面発見についての報道映像がありました。NHKで報じられたことは知っていましたが、実際に見たのは初めてでした。
1945年8月7日千葉県木更津の飛行場で初飛行に成功した「ネ-20」の改良版で、実際に造られることのなかった幻のエンジンです。
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息子の進学祝に何か記念になるものをあげようと考えて、タービンブレードのネクタイピンにしました。
タービンブレードのネクタイピンについては、 以前にも紹介しました。十数年前に5個ぐらいまとめて買って、折に触れて人にプレゼントしてきたため、最後の1つになっていました。以前ANA(全日空)で機内販売していましたが、今は製造も販売もされていません。
実際に稼動していたジェットエンジンの部品というだけではなく、Certification Tag というのがついていて、機体・エンジンの種類・使用時間などの情報がわかるようになっています。このタイピンは、Boeing 747SR (J8137)に搭載されていた第4エンジン、CF6-45A2の高圧タービン第2段のタービンブレードだったということがわかります。使用時間は19426時間。Inspectorのサインもあります。H.Itoさんとなっています。
ジャンボジェット(B747)のSR(Short Range)は日本用に作られた型式です。御巣鷹山に墜落したJAL124便(JA8119)はこの型式でした。もうすべて日本の空から引退しています。こちらにJ8137が離陸しているところの写真があります。ANAはGEのエンジンを搭載することが多く、CF6-45A2は燃料制御が機械的なアナログ制御になっているエンジンです。このエンジンもすでに日本では引退をしています。
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勤務先で卒業制作の発表会がありました。私が所属する学科だけでやっているのですが、自分で立案計画して作品として仕上げようということです。若者が、コツコツと悩みながら失敗しながら仕上げてゆく姿を見守るのは楽しいものです。そんないくつかを紹介してみたいと思います。
最初は、旅客機に搭載されているターボファンエンジンのスケールカットモデルです。ボーイング777などに搭載されているPW4000です。縮尺は1/17。PWはPratt & Whitney社のジェットエンジンということを意味しています。
コンプレッサ・タービンの段数はごまかすことなく本物と同じになっています。これまでも似たような試みはあったのですが、今回のはローターが回転するのです。
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日本初のジェットエンジン「ネ-20」のCGです。
以前に作ったものをアレンジしたものです。CGはShade6を使っています。CGの技量としては初心者の域を出ませんが、作っていると楽しいですね。
お絵かきと、モデルエンジンつくりを同時にやっている気分です。
以前のブログでもジェットエンジンのカテゴリーは訪問者が多かったですから、こちらでも時々書いてゆこうと思います。
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明日(正確には今日ですが)、「IHIジェットエンジン講座」を開きます。
今年で5回目です。今回は、(株)IHI(今年7月に石川島播磨重工業から社名変更)航空宇宙事業本部から品質保証部のN部長を招いて講義を行っていただきます。
ジェットエンジンにかかわる事故事例とヒューマンファクターについて、具体的な事例を通して考えていく、という内容になるようです。学生に対して行われますが、もちろん私も勉強させてもらいます。
昨日最終の打ち合わせを行いましたが、とても気さくな方で、こちらの意図要望を汲み取っていただいて、とても興味深い資料になっていました。
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実は、この記事昨日書くつもりでした。疲れて寝てしまいました。
1945年8月7日です。そうです、広島に原子爆弾が投下されて、人類史上例を見ない大量殺戮が行われた翌日です。
日本ではじめて開発されたジェットエンジンネ-20が、橘花に搭載されて初飛行に成功したのが8月7日だったのです。燃料には赤松の根を乾溜して作られた松根油が使われました。
千葉県木更津の飛行場です。
この8日後、終戦を迎えます。戦後、ネ-20開発の中心人物だった永野収氏は「ネ-20はあらゆる意味で未熟児であった」と述べています。
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本日職場に、日本製鋼所の関連会社である日鋼検査サービス(株)の社長さんと開発担当の技術者の方が来られました。
お二人とも旧知の仲です。仕事上の話とは別に、情報交換をしたり、教えたもらったりしました。この日本製鋼所は、日本で戦後超音波探傷をフィールドで実際に適用し始めたところです。高沖さんという優れた技術者がおられたのです。高沖さんは、日鋼検査サービス(株)の初代の社長さんでもあります。日本製鋼所は特殊鋼の分野で世界に知られた企業です。
この日本製鋼所は、日本初の航空機用エンジン「室〇号」が作られたところである、ということはあまり知られていません。
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IHI田無工場が50年の歴史を閉じて、相馬に移転したことを先日書きました。「土光の愚挙」といわれながら、田無の工業用地を土光氏が確保したのは、空気がきれいだったことが大きな要因だったとのことです。土光敏夫氏は、ガスタービンの技術者でした。土光氏には、まだ間に合うとの判断があったものと思われます。
昭和20年(1945年)8月7日に、ジェットエンジン「ネ-20」の開発に成功して、橘花に搭載されて初飛行に成功しているにもかかわらず、敗戦とその後の占領政策によって航空にかかわることが禁止されて、ジェットエンジン開発が頓挫せざる終えなかった悔しさと、技術技能の継承がまだ可能である、と・・・。
橘花が初飛行に成功した木更津の飛行場は、現在羽田空港への進入路の直下にあります。私は、北海道から上京する際は、左側の窓席を取って、みていきます。
おそらく初飛行成功の日の写真。開発にかかわった人たちでしょう。
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IHIの方からメールが来て、同社田無工場が3月20日ちょうど50年の歴史に幕を降ろしたとのことです。予定より少し早まっているようです。
「昭和32年(1957年)1月、石川島は東京田無に工場用地を取得した。この場所は、戦前、中島飛行機の下請け・豊和産業があったところで、戦時中は主に中島飛行機のキャブレターや高圧オイルポンプといった補機類を生産していた。昭和30年(1955年)6月から、この敷地の片隅にあった豊和産業の元宿舎に、財政にゆとりのないNJE(日本ジェットエンジン株式会社)が間借りしていたところでもある。」(前間孝則著「ジェットエンジンに取り憑かれた男 下」講談社より)
「土光の愚挙」といわれたこの田無工場の開設から、ジェットエンジンメーカーとしてのIHIが始まりました。
以前にも書きましたが、田無工場でリタイヤする現場の方に仲間たちが送る慣わしがあったと聞きました。
田無工場の役割は、新設された福島県にある相馬工場に引き継がれます。
ありがとうございます。おかげさまで過去最高のポイントになりました。が、1位は強い!引き続き、1日1回のクリックで応援よろしく。
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「タービンブレードのネクタイピン」にコメントをいただいたデハボ1000さんによると、周りの飛行機ファンはみなこのネクタイピンを持っているそうです。かも知れないなぁ、と思いました。
私が購入したのは11年前ですが、当時3~4000円でしたでしょうか。私は安いと思いました。今はなくしてしまいましたが、タグがついていてこのブレードの来歴が書いてありました。私のは確か、ロッキードL1011トライスターのエンジンだったと記憶しています。
3発のエンジンを搭載した美しい機体でした。田中角栄のロッキード疑惑の対象となった機体です。全日空の若狭被告、という名前に記憶がありますでしょうか。
右の絵葉書の写真は、松山宏さんのHPから借用しました。松山さんは、三菱電機に勤務して国産超音波探傷器の開発に当たられた方です。大の飛行機好きでもあります。超音波探傷関係者は、飛行機好きが多いです。(この話は改めていつか書きます)
それでエンジンは・・・
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昨日は卒業式でした。それぞれの思い出を胸に旅立っていきました。
80社を超える企業の方が参列していただきました。その中でひとつだけ悲しい知らせを受けました。石川島播磨重工業(IHI)航空宇宙事業本部の方から、一昨年「IHIエンジン講座」の講師として来校された、高畑和俊氏が亡くなられたと聞きました。
とても元気で情熱的な方でした。「日本の航空機」というサイトを持っておられ(残念ながら閉鎖されています)、諸外国でもその筋ではよく知られた方のようです。「あんなに楽しそうに仕事をしている人がいるのですね。高畑さんのようになりたい。」という感想を多くの学生たちが寄せていました。
私も、同年代のとてつもなく元気なおじさんに会って、うれしくて前日の居酒屋では閉店近くまで盛り上がっていました。
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Newsweekの2月28日号が送られてきました。
表紙を飾るタイトルは「危ない航空会社ランキング」。刺激的なタイトルですね。内部では「危なくない航空会社ランキング」になっています。(執筆側と営業側の妥協の産物?)
その中に「JALは本当に危ないのか」という署名記事があります。
アクシデントやインシデントの数のデータを示して、マスコミで報道されている印象とのずれを浮き彫りにしています。
この記事を書くにあたって、このブログの記事が参考になったとのことです。こちらの記事1・2。
もちろん私の書いたことを鵜呑みにしたわけもなく、ご自分でちゃんと調べたようです。それにしても、ブログっていろんな人が読んでいるものなのですね。
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J47ターボジェットエンジンのタービンノズルに生じた熱疲労割れです。蛍光浸透探傷検査(Fluorescent Penetrant Inspection)で検出しています。(画像をクリックしてください)
紫外線照射灯(black light)で照射しています。蛍光浸透探傷検査は、航空業界ではよくザイグロ検査と言われることがありますが、ZYGLOはMagnaflux社の商品名で、正式にはこの呼び方はしません。
箱型の車をボンゴというようなものです。(ちょっと古すぎ?)
KADOTAさんと1位・2位になりました\(^-^)/。応援ありがとうございます。
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破壊力学を学ぶと、決まってはじめに出てくるのがグリフィスき裂です。き裂(crack 割れ)があると強度は下がります。また、き裂先端の応力集中係数は無限大に近くなります。応力集中係数が無限大ということは、強度が0になることを意味します。しかしき裂がある部材にも実際には強度があります。グリフィスは、この難問を表面エネルギーとひずみエネルギー解放率という観点で解明したことで現代破壊力学の元祖といわれる人です。
このグリフィスさん、英国のエンジン関係の研究所にいたことがある、という話は知っていました。しかし、いわゆる学者さんなのだろうな、と勝手に想像していました。グリフィスの理論は適用できる範囲が脆性材料に限られることから、関心が薄かったのです。しかし、むしろジェットエンジンの開発者としての仕事のほうが本業であったらしいことを、ひょんなきっかけから271828さんとのやり取りで知りました。ジェットエンジンの発明者として知られるフランク・ホイットルに影響を与え、彼自身も現代につながる先見性ではむしろホイットルよりも優れた業績を残している人なのですね。
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本日苫小牧市科学センターに行く用事がありましたので、ついでにいくつか写真を撮ってきました。
ターボジェットエンジンWestinghouseJ34のカットモデルが展示してあります。Westinghouseというの電機メーカーです。GEも、電機メーカーから出発したのでしたね。
仕様
圧縮機 11段
タービン 2段
圧縮比 3.7-4.2
推力 15kN
コンプレッサーブレードには鋼材が使われています。現代ではほとんどチタニウム合金です。
燃焼器はアニュラー型ですが、燃料ノズルが二重の環列状に配置されている珍しいかたちです。
燃焼器側からタービンを見ています。タービンの静翼(ノズル)が見えています。
排気ノズルです。2段目のタービン動翼が少しだけ見えています。
これは、うちの学生が内部の構造が分かるようにカットしたものです。安全対策も含めてよくできています。
現在同センターに貸し出しています。
ターボジェットエンジンのカットモデルは、日本ではほとんどありません。予約なしでしかも無料で見ることのできるのはここだけでしょう。
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機械の機構の中には、面白い形がたくさんあります。インボリュート曲線を使ったコンプレッサー(スクロール圧縮機)の例をデハボ1000さんが紹介してくれました。アニメがこちらにあります。
内接型のギヤポンプであるトロコイドポンプも、面白い形をしています。J34ターボジェットエンジンに搭載されているポンプを使って、アニメーションを作ってみました。
左の画像をクリックしてください。アニメーションになっています。
デジタルカメラを10月に購入したときから、こういうのを作ってみたかったのです。これまで、CGで作った画像でGIFアニメを作っていました。クレーアニメの作り方をTVで見て、何かでやってみようと思っていました。
三脚を立てて撮影しましたが、少しぶれています。カメラの固定をもう少しきっちりやる必要がありそうです。
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実習室にあるJ34ターボジェットエンジンです。圧縮機(コンプレッサー)のケースがはずされていて、ディスクとブレードが見えています。
同じエンジンのカットモデルは、現在苫小牧市科学センターに貸し出しています。同館の1Fに展示中。
日本初のジェットエンジン ネ-20を3DCGで再現する作業をしていますが、このときこのエンジンが身近にあることがとても役立っています。
写真で、後方のシャルピー衝撃試験機の後ろには「つまようじブリッジコンテスト」の歴代優勝作品がみえています。
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高度15000m、最高速度マッハ2の超音速でエンジンの性能を試験する施設です。
超高音速実験機に搭載するエンジンの試験をするための施設だそうです。
ここまでできる試験設備は、ここと日本では北海道の千歳にあります、との説明を聞いて学生はびっくりしていました。
そういえばこの学年には、言ってなかったかも知れなかったな、と反省。エンジンの開発にかかわっている卒業生が良く来ているのだけれどなぁ。
カプセルの中で、高高度・超音速環境を作るのだそうです。エンジンの性能はつまるところ推力(スラスト)で示されます。このスラストはエンジン架台についているロードセルで測定されますが、ロードセルの中にはコイルバネが入っているとのことでした。
コントロールルームです。現場の様子を写すモニターと、各種データが表示され処理されます。
私が面白いと思ったのは、モニターの表示がアナログ計器風に作られていたことでした。
データはデジタルで伝えられてくるでしょうから、数値で表示するほうが手間がかからないはずです。研究者の単なる趣味なのか、あるいはデータ判断に関する人間工学的な配慮なのかは、聞きそびれました。
私は、超音波探傷器をパソコン上に作るときに、デジタルデータをアナログ的に見せるのに苦労した思い出があります。また、航法計器ですが、こんなのも作りました。苦労はしたけれど、楽しかったですね。
ココログが48時間のメンテナンスで、記事の更新ができないということでした。ずいぶん長いな、と思っていました。メンテナンスが終わったはずなのに、またさらに1日記事の更新ができない期間がありました。niftyさん、う~ん、どうしたの?
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昨日純国産ジェット旅客機開発の計画があると書きましたが、それを紹介したHPです。
(環境適応型高性能小型航空機のイメージ図:JAXAのHPより)
三菱重工が機体を石川島播磨重工がエンジンを作る計画のようです。それぞれの得意分野というところでしょう。
JAXAや物質・材料研究機構(旧金材研)も参画するようです。船頭多くして船山に登る、とならないよう、ぜひ成功させてほしいものです。
来週JAXAの航空宇宙技術研究センターを訪問します。計画の一端を見ることができるでしょうか?
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国産旅客機YS11が最後の飛行を終えたようです。
私がはじめて乗った飛行機がYS11でした。1966年だったと記憶していますが、伊丹から米子まででした。飛行機から降りたら、ものすごく肩が凝っていたのを憶えています。緊張していたのですね。一時代が終わったという感じです。
ところで、ニュースでYS11の引退を「ジェット機時代に押されて・・・」と、YS11がジェット旅客機ではないような報道がなされています。
YS11のエンジンは、ロールスロイス製のターボプロップというタイプのジェットエンジンです。「ジェットの噴流ではなくて、プロペラを回して推力を得ているじゃないか」という反論もあろうかと思います。
現在の旅客機に搭載されているターボファンというタイプのジェットエンジン(左の絵)では、その推力の8割以上をジェット噴流ではなくて、プロペラのお化けのようなファンを回すことで得ています。YS11で採用したのは、タービンでプロペラを回すジェットエンジンです。
先日某エンジンメーカーの開発者に聞いたところでは、今度はエンジンも国産の旅客機を作る構想があるそうで、ぜひ実現してほしいものです。
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経済産業省が実施する航空関係の国家試験に、航空工場検査員国家試験があります。この試験は、13の部門がありそのひとつに「航空機用原動機」があります。航空機用原動機といえば、小型機に搭載されるレシプロエンジンとジェットエンジンがありますが、この試験で問われるのはジェットエンジンについてです。
試験科目は、「法規」・「理論(強度・構造・性能)」・「材料」「製造修理方法」の4科目です。4科目すべてで基準点以上の得点を取ると合格になります。航空機用原動機部門は、毎年100人前後が受験します。合格率は10~20%前後です。受験資格に特に制限はありませんが、受験者の多くは会社での相当の実務経験を経た方のようです。
この試験に合格者は、ジェットエンジンメーカーや修理を伴うヘビーなメンテナンスをする会社で、品質管理のとりまとめと点検をする、航空工場検査技術者か航空工場検査員になることができます。直接作業をする人の資格ではありません。
私の合格証です。愛想も何もないA4の上質紙です。大臣印に意味があります。平沼さんはこのあと大きく運命が揺れましたね。
Googleで自動で入らないでしょうから、手動でCM。
航空工場検査員(航空機用原動機)を取得できる専門学校はこちら。
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NHKのこの番組は、IFSD率を取り上げないという意味で、エンジンの飛行中停止の問題を見る視点にゆがみが出ていると思うのです。
次の図は、米国の航空会社の例ですが、エンジンの飛行中停止率の推移を示したものです。縦軸は1000飛行時間につきIFSDがおきる回数を示しています。
これを見ても分かるように、IFSD率は1960年代から右肩下がりで下がり続けており、25年間で1桁下がっていることが分かります。信頼性を示す指標で1桁下がるというのは大変なことなのです。
タービンブレードは高温の燃焼ガスにさらされて、さらに遠心力による引張りの力を受けますから、クリープ破壊の危険があります。
このタービンブレードをコンプレッサーで圧縮された空気の一部を使って冷却するという発想は、ジェットエンジン開発の初期からありました。
1945年に初飛行に成功した日本初のジェットエンジンであるネ-20でも、タービンブレードに冷却用にエアーを吹きかけていました。
現在のジェットエンジンのタービンブレードでは、ブレードの内部に冷却空気を入れて、さらにたくみにあけられた穴から出たエアーがブレード表面をフィルムのように覆つて、ブレードを高温から守っています。
最近のエンジンに使われているタービンブレードは、ニッケルをベースにした耐熱合金で、鋳造で作られます。クリープ割れは結晶の境目(結晶粒界)にできることから、単結晶(ブレード1個がひとつの結晶でできている)のブレードが開発されて使われています。金属はたいてい、小さな結晶の粒の集合でできています(発泡スチロールの粒々を細かくしたものをイメージすると近い)。金属を少しでも学んだものにとって、これだけ複雑なものが「単結晶」でできていること自体驚異的なことです。
航空機や航空機用エンジンの安全性は急速な進歩を遂げています。「完全な安全」はありえないのです。「便利」の背後には危険がつきものです。安全技術の現在がどうなっているのかを、ショッキングな映像を何度も見せた興奮の中で、突く相手を探すような視点で問題にするのは、間違っていると思います。
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NHKスペシャル テクノクライシス「しのびよる破壊 航空機エンジン」を見ました。
タービンブレードの破壊による飛行中エンジン停止(IFSD:In Flight Shut Down )に問題を絞って番組を作っており、多方面への取材をしていて、記録映像としてはまとまった貴重なものになっています。
でも、「テクノクライシス」というタイトルで、サーバー犯罪やロボットの軍事転用と同列で「しのびよる破壊」としてこの問題を取り上げるのは、明らかに違うと思うのです。「サーバー犯罪やロボットの軍事転用」には、「テクノクライシス」(技術の進歩によってもたらされる新たな危険→危機)という面があります。
この脈絡では、あたかも、航空機エンジンの進歩が、とんでもない破壊の方向に向かっているような筋立てになっています。
実際に戦後60年を振り返ると少年の犯罪件数は減少しているにもかかわらず、最近起きたショッキングな少年による犯罪の数例をとって(映像を何度も繰り返し流しながら)「最近の青少年の凶悪化」などと問題を立てる錯誤に似ています。
NHKは昨年8月12日(JAL123便事故の20周年の日)、たまたま福岡空港でJAL-ways機が離陸の際、IFSDを起こし緊急着陸をしたときの様子を撮影しており、その映像を何度も流しています。確かに、ジェットエンジンの後部から火を噴いている映像はショッキングではあります。
でも、ひにくれものの私から見ると・・・
* 炎は一瞬見えるものの、1秒前後で消えている。
これって、すごいと思いません。エンジンで異常が起きて、コックピットに警報が鳴り、パイロットがエンジン停止と消火操作をして、実際に火が消える、というプロセスがこの間に起きているのです。(自動消火のシステムではありません)
* エンジンから炎が出て、止まってしまったにもかかわらず、何事もなかったかのように空港に引き返している。
たとえエンジンが1基しか稼動しなくなっても、最寄の空港に着陸できるようにパイロットたちはシミュレータで訓練されているのですね。もちろん、エンジントラブルが発生した際の対処も・・・。
私は、このNHKの番組でなぜ飛行中エンジン停止率(In Fight Shutdown Rate )について具体的に説明をしないのか、が疑問です。(これを出すとストーリーが成り立たない?)
飛行中エンジン停止率は、大型旅客機に搭載されているターボファンエンジンで飛行時間あたりおおよそ10万分の1です。年間に24回飛行機に乗る人(1ヶ月に1回千歳-羽田を往復 誰のこと? 24×1.5=36時間)がいるとして、IFSDに遭遇するのは、およそ2800年に1度ということになります。もう少し詳しくはこちら。
1基止まっても大丈夫。2基とも止まる確率は100億分の1。先ほどの例では、2億8千万年に1度。航空機エンジンの信頼性は、年々高くなっています。
私は、テクノクライシスがこの問題にあるとしたら、2万円そこそこの金額で地上1万メートルを飛び東京-北海道を1時間半で行くのに、それを当たり前だと思っている感覚にあると思います。便利は享受するが、地道に安全を守っている技術者への眼差しは、どうなのでしょうか。
問題があったときに袋叩きにするという姿勢をとって、なお、「完全」を要求することに傲慢さはないでしょうか?彼らも、同時代を生きる人間であり、もしかしたら小学校の時には同じ机を並べたA君かもしれない、と想像をしたときに見えてくるものがあると思います。
明日、飛行機で上京します。明日が2億8千万年に1度の大当たりではないことを祈りつつ・・。
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日本初のジェットエンジン・ネ20の戦後について以前に書きましたが、クライスター社による試験レポートが公表されることを期待していました。
先日、本屋でぶらぶらしていたら、ネ20に関する石澤和彦氏の著書が目に止まりました。この本はとっくに手に入れて、3DCGでネ20を再現するのに大いに参考にしていたものでした。しかし、何か違うと感じててにとって見ると、なんと増補版になっていて、クライスラー社による試験レポートについても図表を含めて18ページに渡って収録されていました。
さらに、2001年7月にスミソニアン航空博物館で分解されたときの写真が13ページに渡って収録されていました。さらに、現在国立科学博物館が所蔵しているネ20の図面が、30枚収録されていました。さらにもうひとつ、第2次世界大戦中にドイツから潜水艦に乗せられて運ばれたBMW003Aの図面から当時コピーされた図面も収録されていました。
あとの中身は同じであるようだったけれど、躊躇なくレジに向かっていました。CGによる再現の意欲が自然とわいてきました。
ただ、装丁が微妙に変わっていました。私は、ここにレビューを書きましたが、堂々とジェットエンジンの本にふさわしくしてほしかったのです。出版社も、考えてくれたのかな?同様な声も多かったと思います。
増補版では54ページも増えているのに、背の厚さは減っているのは何故でしょう。最近の出版界では、本を厚く見せるための配慮は常識だそうです。
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クライスラー社のガスタービンカーのページを見つけました。
ターボジェットエンジンではなくて、遠心式コンプレッサーのターボシャフトエンジンのようです。ターボシャフトエンジンは、タービンの回転によるトルクを動力として取り出すもので、一般にはヘリコプターに搭載されています。ジェットエンジンの型式
Jet Car の中にはターボジェットエンジンをそのまま車に搭載したものもあります。
この写真に搭載されているのは、Westinghouse社の J34エンジン。迫力ありますね。Westinghouse社は電機メーカーのようです。
現在GE社は世界の3大ジェットエンジンメーカーですが、元はエジソンを元祖とする電機メーカーでしたね。
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昨日に続いて、「航空技術」12月号石澤レポートからの情報です。
クライスラー社で試験研究用として米軍から提供されたネ20は2基あった。1946年8月と10月のの試運転の際、部品の一部を破損したために、もうひとつのエンジンから部品どりをして組み立てた。それが、IHI史料館に現在あるものとほぼ一致するとのことです。
つまり、戦後ネ20は4基米国に渡り、クライスラー社で二個一になって日本に帰ってきた、ということになるらしいのです。
この2基はタービンブレードの枚数が63枚と66枚と違っており、スラストベアリングの型式の違うものだったようです。
IHIにあるエンジンはスターターの型式や燃料パイプの形状がオリジナルのものと違うことは、すでに分かっていました。これらオリジナルと違う点は、ノースロップ工科大学での実習に供されたときの変更だと、従来考えられていましたが、もう少し複雑な履歴があるようです。
それにしても、クライスラー社が行ったネ20の試験レポートが残っているようで、ぜひ公開してほしい。読んでみたい。
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日本初のジェットエンジン「ネ20」は、1945年8月7日千葉県木更津で橘花に搭載されて初飛行試験に成功しました。8日後には終戦を迎え、実用に供されることなく、短命に終わったことは良く知られています。
「ネ20」は現在、米国スミソニアン航空博物館に2基、石川島播磨重工業(IHI)田無工場史料館に1基あるのが確認されているだけです。
IHIにある1基は、戦後ノースロップ工科大学にあるのが分かり、1973年10月入間で開かれた国際航空宇宙ショーに展示にするために日本に来たところを、返す段になって強引に「返さない」とやって、すったもんだの末、「永久無償貸与」の形になったものです。(この辺の話もとても面白い)
このIHIにあるエンジンが、どうも戦後クライスラー社がターボプロップエンジンXT-36-D2の開発のために米海軍から貸与されていたものらしいというのです。「航空技術」200512月号に石澤和彦氏が書いています。
クライスラー社はネ20を分解し組み立てて試験と解析を行ったようです。この試験から得たデータを元に、XT-36を開発し、さらにガスタービン自動車の開発に成功した、というのです。
CHRYSLER社のものではありませんが、ガスタービンカーの例。
開発者の永野治氏が愛惜の情を込めて「未熟児」と呼んだ日本初のジェットエンジン「ネ20」の戦後物語は、まだまだ語りつくされていないようです。
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